コラム



第2回  腹話術師のテクニックに学ぶ

 第二回目です。

 前回は、レギュレータを咥えて上手に話すためには練習が必要なことと、その練習は決して特別なものではなく話し続けるだけであることを、ご説明しました。
 今回は、「腹話術師のテクニックに学ぶ」について書いてみます。

 水中で話していると、どうしても上手に発音出来ない音があることがわかります。もっとも難関な発音は、唇を閉じて発声するバ行【b】、パ行【p】、マ行【m】です。レギュレータを咥えているわけですから、唇は閉じることが出来ません。その状態で、バ行【b】、パ行【p】、マ行【m】を発音してみてください。手も足も出ない状況に驚かれると思います。

 このような音素を私たちは苦手音と呼んでいます。この苦手音をレギュレータを咥えたまま上手に話すことは出来るのでしょうか? 答えは、もちろん「出来ない」ということになります。

 こんな状況、どこかで見たことがありませんか?

そうです。それが、腹話術です。著名な腹話術師は唇を全く動かさずに、パーパラパッパッパとパ行【p】を連発して、その技の凄さを見せつけます。それこそ血のにじむような練習を何年も続けた結果と伝え聞きます。このような技術を身につければレギュレータを咥えていても苦手音を正常に発音できることでしょう。しかし、私たちダイバーは、そのようなことはとても出来ません。

 でも、ご安心ください。そもそも、多くの腹話術師は苦手音を完璧に発音することはできないのです。それでも、彼らはきちんと興業を成功させています。どうしてでしょう?実は、腹話術師は苦手音を克服するために様々なテクニックを身につけているからです。そこに、我々ダイバーも簡単に応用できるテクニックが隠されています。

 今回は、それらをご紹介したいと思います。

 腹話術師の第1の、そして、最大のテクニックは、苦手音を話さないということです。腹話術は人形との掛け合いのストーリーを作っていますので、話す言葉は全て決まっています。つまり、台本の中に苦手音を入れなければ良いのです。たとえば、「パパとママ」であれば、「お父さんとお母さん」に台本を書き換えます。これで唇を閉じる苦手音が無くなります。言われてみれば当たり前の話ですね。

 ダイビングで、このテクニックを応用しましょう。話す前に苦手音かどうか判断するのは大変です。ですので、まず話してみて、上手に発音できなかった時に、言い直すのが良いでしょう。例えば、「潜りましょう!」の「モ」【m】や「マ」【m】は苦手音です。レギュレータを咥えたまま「潜りましょう!」と話してみると、「モ」【m】や「マ」【m】が上手に発音できないことに気がつきます。その場合、「潜水開始!」と言い直せば良いのです。これだけで、会話の明瞭度が上がります。

 腹話術師の2番目のテクニックは苦手音の代替えです。
 「コバンザメ」と言う名前を伝えなければならないとします。ここには、「バ」【b】という苦手音が含まれています。しかし、「コバンザメ」は「コバンザメ」ですから、苦手音を含まない名前に置き換えることは出来ません。このようなとき、腹話術師はどうしているのでしょう? 彼らは、この苦手音を別の音素に代替えしています。バ行【b】→ダ行【d】、パ行【p】→タ行【t】、マ行【m】→ナ行【n】へ代替えします。「コバンザメ」の「バ」は「ダ」で代用しますので、「コダンザメ」と発音します。  ところで、聞いている方は「コバンザメ」と分かるのでしょうか?実は、「コバンザメ」という単語を知っている場合は、分かってしまいます。私たちの脳がそのように解釈してくれるからです。しかし、その単語を知らなければ通じません。

 このように、私たちの脳の能力は非常に強力です。友人と別れるときに「さよ★▲ら」という音声が発せられたら、正確に「さようなら」と聞こえます。これは、”音の修復”という心理現象で、脳が、このように聞こえるはずだという予測をしているのです。予測の働く言葉は少々聞こえない部分があってもはっきり正確に聞こえるのです。

 この「音の修復」の心理現象をダイビングでも使って見ましょう。つまり、水中で話す可能性のある単語を予め相手に伝えておくのです。ガイドさんであれば、ブリーフィングの時に、「この辺の海域にはカメがいて、”コバンザメ”がくっついているんですよ、見つけたら”コバンザメ!”って呼びかけますよ。」と伝えておきましょう。それにより、各自の脳が適切に解釈し、「コ★ンザメ」と聞こえても「コバンザメ」と伝わるようになります。

 バディ同士でも、前もって水中でよく使う単語を教え合うのは非常に有効です。「大丈夫?」「残圧は?」「浮上」「危険」等々、使いそうな単語は、陸上で一度伝え合いましょう。レギュレータを咥えた音声も聞かせられれば完璧です。これで、水中でも伝わるようになります。

 ただし、その強力な脳の力も文章が長いとギブアップします。

 その結果、何を言っているのか分からないということになってしまいます。水中の場合は、数単語が脳にとって適切な長さになります。よく使う単語を短く話すのがコツになります。話すスピードもゆっくりすることで、より脳に余裕を与えることが出来ますのでお勧めです。

 以上が、私たちダイバーにとって苦手音を克服する有効なテクニックと言えます。
 まとめてみます。

  1. 苦手音は話さない。別の単語に置き換えます。
  2. 水中で話す単語は、事前に伝え合っておきます。
  3. 単語、もしくは短い文を、ゆっくり話します。

 これで、今回のお話しは終わりです。ぜひ、腹話術師のテクニックを応用してみてください。

 最後に、ちょっとだけ夢の話を書いてみます。

 今、山形カシオではこの水中の苦手音を明瞭な音声にするためのシステムの研究を、音声認識が専門の山形大学の小坂哲夫教授と共に行っています。日本国内では、30名規模のダイバーの方に協力していただき、60時間の水中の音声を採取して、その音声データを分析しています。また、先日より米国で30人規模の水中の英語音声の採取もスタートしました。これだけの量の水中の音声データは世界的にも希なもので、非常に貴重なデータです。 現時点では、苦手音を確実に聞き取れるような音声には変換出来ていませんが、いつか腹話術師を超えられるようなシステムを目指して研究開発しています。  


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